◆高齢ろうあ者◆

葛飾区聴力障害者協会・手話サークル葛飾(合同講演会)

テーマ:「高齢ろうあ者から学んだこと」

講 師: 岩田恵子氏

     (元特別養護老人ホーム「ななふく苑」施設長)     日時・場所:2017年5月14日(日) 男女平等推進センター多目的室

         参加者:葛聴協19人、サークル25人、講習生・その他9人

 

 

溢れるような力強い手話で、ご自分の相談員として、また施設長としての体験、エピソードからたくさんのお話をいただきました。お話はまさに大切な宝物のようでした

《自己紹介》

ろう学校

 東京教育大学付属ろう学校で幼稚部から15年間学び、淑徳大学へ進学。理由は聞こえる世界を知りたかったから。貴重な4年間。卒業式には公費で通訳が付いた…といっても手話ができる男子学生(サークル員)が通訳を担当した。

 19~20歳の時にアメリカの大学へ留学。親から「結婚するかアメリカへ行くか」と訊かれアメリカ行きを選択。レセプションパーティーで両親がろう者であることを「よかった」と言われて驚き。日本では障害は恥ずかしいこと、アメリカではプラスの捉え方をしていることを知った。娘が変わって帰ってきて、両親は「お金をかけて学んだ甲斐があった」と言っていた。

 

ろうあ者相談員としての24年間・ななふく苑での2年間

 教員採用試験に不合格となり、すし屋でアルバイトをしていた。22歳で相談員に採用され、熊谷で24年間務めた。22歳、結婚も出産もまだで、若すぎて相談してくれない日々もあった。

 ななふくへは河合氏への恩返しのつもりで務めた。現在は聴者7人、ろう者61人で68人の定員はいっぱい。東京からの人が多い。ろう者は肺や心臓が弱いと言われたが、103歳の長寿を全うした方が居た。

 

《高齢ろう者から学んだこと》

「相談って何?」

 ある70代のろう夫婦。山奥で農業をしていた。通訳と同行した際に「相談って何?」と言われ、「悩みや困っていることは?」と聞くと、相手を怒らせてしまい失敗。人生経験の長い方に対して失礼な質問だった。その後何度も訪問するうちに妻から「針穴に糸が通せない」と。そして「助かった」と言われた。その後夫から「通院に自転車の二人乗りで40分かかっている。他の通院方法はないか?」と聞かれ、社協の送迎バスを利用することにした。介護制度のない時代で、福祉というと役所への不信感に結びついてしまう。生活に結び付けて話す必要があることを話学んだ。この夫婦には可愛がってもらった。就学経験がなくてもきちんとした生活を送っている夫婦だった。

 

「帰って」

 脳の疾患で手が動かなくなった入所者がいた。手話の数も少なくなっていった。

ある日、ひ孫を連れて遊びに来た家族に「帰っていいよ」と手話で。せっかく遠くから来たのになぜ?その手話には「季節の変わり目で生まれたばかりの赤ちゃんには寒いから、早く帰ったほうがいい」という意味が込められていた。本当の気持ちが伝わるように深く手話を理解してほしい。

 

「ろうはだめ×、聞こえる人はいい〇」

 田んぼの中に一人で住んでいる70代の高齢ろう者。通訳と同行すると、通訳にはいい顔をし、ろうの自分に対してはいつも怒った顔をしていた。ろうはダメ×と思い込みがあった。ジェスチャーでのコミュニケーションが多く、ななふくへ来て大丈夫かと心配したが、少しずつ変わった。心が開かれた。集団から色々学んだ。ななふく苑で人生を取り戻す例が多くある。

 

「聾版逢わせ屋」

 老人ホームを訪問する中で、かつての旧友同士だったそれぞれのろう者に出会った。「佐藤さんに会いたい」「高橋さんに戦後会ってない」(仮名)と、お互いに亡くなったと思っていた。二人を引き合わせることができ、再開の瞬間には想像していた感動して抱き合う光景が…なかった?!

 久しぶりすぎて顔つきも変わってしまったせいか?しばらくするとお互いのサインネームをきっかけに、ようやく相手のことがわかり、感動の再開になった。手話は素晴らしい!

 環境により手話はいろいろ。そして手話には思いが詰まっている。ろう者の思いを受け取ってほしい。ろうの先輩は素晴らしい。遺産はなんと言ってもやはり「手話」。

 

《参加者の感想》 

 素晴らしい講演でした。私たちが想像するよりも苦しい経験をされたろう者を、少しでも知ることができたと思います。岩田さんに対して聞こえないからダメ、という方がいたというのは驚きでした。私は聞こえない人同士ならスムーズに関係を築けると思い込んでいました。聴覚障害者だからと差別を受けて育ち、自分と同じ聴覚障害者を否定してしまうのは悲しいことですね。集団の中で自分を受け入れることが出来て良かったと思います。

 また、お見舞いに行ったサークル員が「病気がなくなる」という意味で使っていた手話が、入院中のろう者には「病気でいなくなる(=死ぬ)」と捉えられていたというお話がありました。手話を学ぶ私たちは改めて気を付けなければならないと思いました。サークルに来てくださっている、ろう者の背景…差別や運動について、改めて知りたいと思える講演でした。(亀有支部KM)

                             (報告作成:田村和子)